中間管理職トネガワを見ているので久しぶりにカイジも見ているのだが、ついでに映画の実写版も見てみた。
感想を書くと批判の方が多くなってしまうのだが・・・今回に関してだけ言えば、そんなことは全く問題ではない。
なぜならカイジのスピンオフである「中間管理職トネガワ」がナレーション(を筆頭とした諸々のセンスのずれ)のせいでかなり悲惨な作品になってしまったからである。
多分この作品、ハガレンやヘルシングよろしく「中間管理職トネガワ Ultimate」とかで作り直してDVD化するんじゃないかな?←
というわけで実写版カイジの話。
カイジは自堕落なクズだが一方で他人の悪意に敏感な熱血漢でもある。そういうものを目の当たりにした時に彼が叫ぶさまはカイジらしかったと思う。
褒め言葉かと思いきやそうでもない。限定じゃんけん→地下生活(チンチロなし)→Eカードまでを二時間の中にぶち込んでいるのが原因だと思うのだが、確かによく言えば展開が速い。
一方で、一枚のカードを出すのに何分も悩んで堂々巡りしたり、どん底からのひらめきで必死に策を講じたり、そして策を実らせるために仲間と地べたに這いつくばるようにして努力する様は殆ど見られない。実際の所、原作は勝負の瞬間のために何時間も何日も準備する所が見所なので、その点が残念だ。本来カイジ視点で見れば、永遠のように感じる一瞬を固唾をのんで見つめ続けるようなシーンも多い。スピードは必要ないと思う。
利根川や会長は、殺虫剤をかけられた蛆虫がもがき苦しむのを眺めて笑うような感覚で債務者をいたぶるサイコパスである。
どうもこの利根川からはそういう、人を徹底的に見下した感性が伝わってこない。
会長にしても、次元が二けたくらい違うような圧倒的強者の落ち着きが感じられない。
遠藤さえ、鉄骨渡りを見ている投資家たちを見て不快感を示している。そんな感性が残っていてよく出世できたものだ。
やはり彼らには、クズが一周して悟りを開いたような違う世界の生き物であってほしい。
作品冒頭、シェルターを作るために労働者を集めよう、みたいなことを言っていたのだが、それなら劣悪債務者を片っ端からぶち込んでいけばいいだけで、わざわざ恩赦を与える必要はない。
エスポワールはあくまで会長達を楽しませることが主目的ではないだろうか。勿論、船の中で借金をしなければならないので、劣悪債務者昇格システムではあるのだが、強制労働や命がけのギャンブルなんて元々違法(違法と言えば金利がそもそも違法だし)なのだから、借金200万円以上は劣悪債務者ってことにしてしまえば済む話のように思う。
地下に落ちたらビールを奢ろう、という話。アニメ版では遠藤が「大人しく死ぬか、悪あがきして死ぬか」という究極の選択に迫られた時に、カイジから出された妥協案である。そこにはカイジという泥船に乗ってしまった後悔やら、それでも乗り続けるしかない絶望やら、要はドブネズミが逃げるために残しておいた後ろ足で猫に嚙みつくなんて正気の沙汰ではない心境だからこそ格好いいのだが、出世街道から外れただけの実写版遠藤がなぜカイジに乗ったのか・・・。