タイトル:モラル・ハラスメントの心理構造
著者: 加藤諦三
ページ数:230ページ
この本で扱うモラル・ハラスメントは、「美徳によって他人を支配する」行為を指すという。美徳とは、「人間はみんな仲良く」とか「人を疑ってはいけない」とか「親には感謝するべき」とかそういうものだ。
注意点として、この本、読みやすくはあるのだが、
・同じことを何度もいうタイプの文章
・とりとめのない文章
・学術的なことは載っていない
という感じなので、知識をつけるための教科書としてはお勧めできない。美徳による支配がどのように行われ、その結果人はどうなってしまうのか、それをざっくりと知りたい場合に読む本だ。
本文には、親子関係からのモラハラを特に重要視しているようで、その例が随所に出てくる。
P28 喧嘩にならない喧嘩
いじめを正当化する、それがモラル・ハラスメントである。
(略)
とにかくこういう人は、要求の仕方が間接的である。モラル・ハラスメントは美徳による支配だから、喧嘩にならない。
喧嘩にならない喧嘩がモラル・ハラスメントである。
「そうですか?」「そうとってしまうのですね」と言われる。喧嘩ができない。
親が子共に、「好きにしなさい。自分で考えなさい」と言う。しかし、非言語的メッセージとしては、「勉強しなさい」である。
子供は仕方なく勉強する。すると後で母親に、「遊んでくればよかったのに」と言われる。子供は不満だけれども母親に嚙みつけない。何となく不愉快である。母親は責任を逃れている。
言葉として「好きにしなさい」と言いながら、非言語的なメッセージとしては「勉強しなさい」である。どっちに転んでも親に責任はない。
(略)親の偽善である。親がその時その時で立場を変える。だから喧嘩にならない喧嘩しかできない。
P132
「人間は皆同じだ」という教えは、純粋な人を地獄に堕とす教えである。現実の世の中には質の悪い人もいれば、質のよい人もいる。悪魔から天使までいるのが人間社会である。犬にはこれほどの違いはない。
それなのに、「人間は皆同じだ」と教えることは、純粋な人に「あなたは悪魔の餌食になれ」と言うのと同じである。断じて人間は同じではない。
(略)
搾取タイプの人も相手から取ることしか考えていない。そういう人と「仲良くする」ということは、「あなたは搾取されなさい」ということでしかない。「仲良く」という良識の内容は相手を見ないで言えば、質の悪い人の天国である。
人間ほど違わない犬でさえも同じことが起きる。五匹の犬が生まれる。そこに何も考慮しないで食事を与える。
すると気の弱い犬は食べられない。この気の弱い犬に「仲良く」ということは、「あなたは死になさい」ということでしかない。
「仲良く」という良識は、気の弱い犬を退け、あるいは無視して自分の食べたいものを食べる犬に向かって言うべきことで、五匹の犬皆に言うべきことではない。
そういえば311の頃、津波とか原発で混沌としていた時期に、他の地域に逃げる人に対して「自分だけ良ければいいのか」なんて嚙みつく人が非常に多かったが、あれもここでいうモラハラと同種の発想だろう。他人の土地を騙し取って移住するなら確かに自己中だが、危ないから他に行くというだけでどうして自分最優先という発想になるのか理解に苦しんだ。
むろんモラハラをするサディストが"目立った"のか、それとも人間だれしもそういう側面を持っている、という事なのかは定かではない。